天正十年から慶長年間。本能寺の変後、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ、やがて徳川家康の時代へ。桐生信秋(四十二歳〜六十五歳)は、二人の天下人に仕えながらも独立を守り抜く。朝鮮出兵、関ヶ原の戦い。激動の二十年を経て、ついに永遠の独立を勝ち取る。
序章:太閤の時代
天正十一年(1583年)、春。
賤ヶ岳の戦いで、羽柴秀吉は柴田勝家を破った。
これにより、秀吉は織田家の実権を完全に掌握した。
「殿、秀吉殿が大坂城の築城を始められました」
村井景行が報告した。
桐生信秋は、今や四十三歳。白髪が混じり始めたが、その目には衰えない鋭さがあった。
「大坂か。秀吉殿らしい選択だな」
大坂は、西日本の中心。商業の要衝でもある。
「秀吉殿から、築城への協力要請が来ております」
「もちろん、協力する」
信秋は即座に答えた。秀吉との関係は、今後の我が家の命運を握る。
「ただし、条件交渉も忘れるな」
「承知しております」
桐生家は、大坂城築城に多額の資金を提供した。同時に、物資の調達も担当した。
数ヶ月後、秀吉は信秋を大坂に招いた。
「桐生殿、そなたの協力に感謝する」
秀吉は上機嫌だった。まだ築城中だが、すでに壮大な城の姿が見え始めていた。
「恐れ入ります」
「ところで、桐生殿」秀吉は真剣な顔になった。「そなたに、ひとつ頼みがある」
「何でしょうか」
「わしの経済政策を、手伝ってほしい」
信秋は予想していた。秀吉は、信長の経済政策を引き継ぎたいのだ。
「喜んで」
「ありがたい」秀吉は笑った。「そなたは、信長様の時代から経済に通じている。わしも、学びたい」
こうして、信秋は秀吉の経済顧問のような立場になった。
だが、信秋には不安があった。
秀吉は、信長以上に中央集権的だ。諸大名を従わせ、すべてを支配しようとしている。
我が家の独立は、守れるだろうか。
第一章:検地と刀狩り
天正十二年(1584年)、夏。
小牧・長久手の戦いが起きた。
羽柴秀吉と、徳川家康・織田信雄の連合軍が激突した。
「殿、秀吉殿と家康殿が戦っております」
村井が報告した。
信秋は頭を抱えた。
秀吉と家康。二人とも、桐生家の重要な盟友だ。どちらかを選べば、もう一方を敵に回す。
「我が家は、どうすべきでしょうか」
河野守重が尋ねた。
「中立だ」信秋は言った。「どちらにもつかない」
「しかし、秀吉殿から出陣の要請が」
「病気を理由に断る」
信秋は、この戦いに参加しないことを決めた。
「殿、それは危険では。秀吉殿の怒りを買います」
「家康殿を敵に回すよりましだ」
信秋は、家康との関係を重視した。家康は、三十年来の盟友。その絆は、簡単には切れない。
戦いは、膠着状態になった。秀吉は大軍を持っているが、家康は巧みに防戦した。
結局、和睦が成立した。家康は秀吉に臣従する形を取り、戦いは終わった。
「殿、秀吉殿がお怒りです」
村井が心配そうに言った。
「わかっている」
信秋は大坂に出向き、秀吉に謝罪した。
「秀吉様、申し訳ございません。病のため、出陣できず」
秀吉は険しい顔をしていた。
「桐生殿、そなたは病だったのか」
「はい」
「......まあ、良い」秀吉は溜息をついた。「だが、次は必ず参陣してもらうぞ」
「必ず」
信秋は、辛くも秀吉の怒りを免れた。
だが、この事件により、秀吉の信秋への信頼は揺らいだ。
天正十六年(1588年)、秀吉は全国的な検地を開始した。
「刀狩令」も発布され、農民から武器が没収された。
「殿、秀吉殿の検地が、我が領地にも及びます」
村井が報告した。
「検地か......」
信秋は考えた。検地は、土地の正確な石高を測定する作業だ。これにより、年貢の徴収が効率化される。
だが、桐生家にとっては問題があった。
桐生家の実質的な収入は、石高だけではない。商業収入が大きい。だが、それを秀吉に知られれば、より多くの負担を求められる。
「検地には協力する。だが、商業収入については、報告しない」
「それは、隠蔽では」
「そうだ」信秋は正直に言った。「だが、我が家を守るためには必要だ」
検地が行われた。桐生家の石高は、正式に十二万石と測定された。
実際の収入は、商業を含めれば四十万石相当。だが、それは秘密にされた。
「殿、刀狩りも行われます」
「農民の武器は、すべて差し出させろ。秀吉殿の命令に従う」
信秋は、秀吉の政策に表向きは従った。だが、裏では独自の武装を維持していた。
商人に変装させた兵、寺社に預けた武器。いざという時のための備えを、密かに保持していた。
第二章:九州と小田原
天正十五年(1587年)、春。
秀吉は、九州征伐を開始した。
島津家を降伏させるための大遠征だ。
「桐生殿、九州に出陣せよ」
秀吉の命令が下った。
今回は、断れない。小牧・長久手の時の「借り」もある。
「承知しました」
信秋は、千の兵を率いて九州に向かった。虎吉が指揮を取る。
だが、信秋自身は参陣しなかった。
「殿、ご自身は行かれないのですか」
「私は犬山に残る。領地の経営が重要だ」
四十代半ばになり、信秋は戦場に出ることを避けるようになっていた。
九州征伐は、秀吉の圧勝で終わった。島津家は降伏し、秀吉の天下統一は着実に進んだ。
天正十八年(1590年)、小田原征伐。
関東の北条家を攻めるための大軍が編成された。
「桐生殿、今度は必ず参陣せよ」
秀吉の命令は厳しかった。
「承知しました」
今回は、信秋も自ら出陣した。
二十万の大軍が、小田原城を包囲した。
「すごい規模だ......」
信秋は圧倒された。これほどの軍勢を動かせる権力者は、かつていなかった。
包囲は三ヶ月続いた。北条家は、ついに降伏した。
これにより、秀吉の天下統一が完成した。
小田原から戻る途中、信秋は家康と会談した。
「桐生殿、久しぶりだな」
家康は、関東に移封されることになっていた。
「家康殿、関東とは......」
「秀吉殿の命だ」家康は苦笑した。「三河・遠江・駿河から離れ、江戸に移れと」
これは、実質的な左遷だった。だが、家康は文句を言わなかった。
「桐生殿、そなたは幸運だ」
「と、申されますと」
「独立を保っている。わしのように、移封されることもない」
信秋は複雑な表情をした。
「家康殿、これは幸運ではありません。必死の努力の結果です」
「それは、わかっている」家康は真剣な顔をした。「桐生殿、いつか、わしを助けてくれ」
「......どういう意味ですか」
「秀吉殿は、いずれ老いる。その時、天下は再び乱れる。その時、わしは立つ」
家康の目には、静かな炎があった。
「桐生殿、その時、そなたはどちらにつく」
信秋は、慎重に答えた。
「家康殿、私は昔から、独立を目指してきました」
「わかっている」
「ですから、どちらにもつきません。だが、家康殿が天下を取られるなら、妨害もしません」
家康は笑った。
「それで十分だ。ありがとう、桐生殿」
第三章:朝鮮出兵
文禄元年(1592年)、春。
秀吉は、驚くべき命令を下した。
「唐入り」。明国征服のため、まず朝鮮に出兵する。
「殿、秀吉殿が朝鮮出兵を命じられました」
村井が報告した。
「ついに来たか......」
信秋は、この計画を以前から聞いていた。秀吉の壮大な、しかし無謀な野望。
「我が家にも、出兵の命令が?」
「はい。二千の兵を出せと」
信秋は深く考えた。
朝鮮出兵は、失敗する。それは確信していた。補給線が長すぎる。明国は強大だ。勝てるはずがない。
だが、拒否すれば秀吉の怒りを買う。
「出兵する。だが、最小限の兵力で」
「最小限、ですか」
「そうだ。命令には従う。だが、我が家の主力は温存する」
桐生軍二千が、朝鮮に渡った。だが、その多くは傭兵だった。桐生家の精鋭は、犬山に残された。
朝鮮での戦いは、当初は日本軍の優勢だった。だが、やがて明軍が参戦し、情勢は逆転した。
「殿、朝鮮からの報告です。我が軍、苦戦しております」
「予想通りだ」
信秋は、朝鮮の桐生軍に秘密の指示を出していた。
「無理な戦闘は避けよ。生き延びることを最優先にせよ」
桐生軍は、積極的には戦わなかった。他の大名の軍が前線で戦っている間、桐生軍は後方で補給を担当した。
「殿、これは卑怯では」
河野が心配した。
「卑怯だ」信秋は認めた。「だが、無駄死にさせるよりましだ」
文禄二年(1593年)、和議が成立した。だが、それは一時的なものだった。
慶長二年(1597年)、秀吉は再び出兵を命じた。
「殿、また朝鮮に」
「仕方ない。出兵せよ」
だが、今回も桐生軍は積極的には戦わなかった。
慶長三年(1598年)八月。
秀吉が死去した。
「殿、秀吉殿が亡くなられました」
村井が報告した。
「ついに......」
信秋は深く息を吐いた。
秀吉の死により、朝鮮出兵は中止された。桐生軍は、無事に帰国した。
「殿、我が軍の損失は軽微です」
虎吉が報告した。
「よくやった」
他の大名の軍が大きな損害を出す中、桐生軍の損失は最小限だった。
これは、信秋の慎重な戦略の成果だった。
第四章:豊臣家の混乱
慶長三年(1598年)、秋。
秀吉の死後、豊臣家は混乱に陥った。
後継者は、幼い秀頼。これを支えるのは、五大老と五奉行。
だが、その中で最も力を持っていたのは、徳川家康だった。
「殿、家康殿が伏見城に入られました」
村井が報告した。
「動き始めたか」
信秋は、家康の野望を知っていた。秀吉亡き後、天下を狙うのは家康だ。
だが、それに反対する勢力もいた。
石田三成。秀吉の側近で、豊臣家に忠実な男だ。
「殿、三成殿が家康殿を警戒しております」
「当然だろう。家康殿は、豊臣家を乗っ取ろうとしている」
信秋は、両者の対立を冷静に見つめていた。
慶長四年(1599年)、前田利家が死去した。
利家は、豊臣家の重鎮で、家康と三成の対立を抑える役割を果たしていた。
その利家が死ねば、対立は表面化する。
「殿、三成殿が襲撃されました」
「何だと」
加藤清正ら武断派が、三成を襲撃したのだ。三成は辛くも逃れ、佐和山城に隠居した。
「これで、三成殿は表舞台から消えた」
「いや」信秋は首を横に振った。「三成殿は、諦めない。いずれ、必ず立ち上がる」
信秋の予測は当たっていた。
慶長五年(1600年)、ついに決定的な対立が表面化した。
第五章:関ヶ原への道
慶長五年(1600年)、夏。
徳川家康は、会津の上杉景勝を攻めるため、大軍を率いて東へ向かった。
その隙を突いて、石田三成が挙兵した。
「殿、三成殿が挙兵されました!」
村井が緊急の報告に来た。
「ついに来たか」
信秋は立ち上がった。天下分け目の戦いが始まる。
「三成殿は、諸大名に檄を飛ばしております。豊臣家を守るため、家康を討てと」
「我が家にも、要請が来ているか」
「はい。三成殿から、西軍に加わるよう」
信秋は深く考えた。
三成か、家康か。
三成は、豊臣家に忠実だ。だが、人望がない。多くの武将は、三成を嫌っている。
家康は、強大な勢力を持つ。だが、豊臣家を裏切る形になる。
「若殿、ご決断を」
源蔵が促した。源蔵は今や八十歳を超えていたが、まだ信秋の相談役として健在だった。
「源蔵、そなたならどうする」
「家康殿につくべきかと」
「理由は?」
「勝つからです」源蔵は明快に答えた。「三成殿には、勝ち目がない」
信秋は頷いた。
「私もそう思う。だが......」
信秋は窓の外を見た。
「家康殿につけば、我が家の独立はどうなる」
「......難しいかもしれません」
「そうだ。家康殿が天下を取れば、徳川の世になる。その中で、我が家だけが独立を保つのは困難だ」
「では、どうされますか」
信秋は決断した。
「東軍につく。だが、積極的には戦わない」
「例によって、ですか」
「そうだ」信秋は苦笑した。「卑怯かもしれないが、これが我が家の生き方だ」
信秋は、家康に使者を送った。
「家康様、桐生家は東軍に参加します」
家康は喜んだ。
「桐生殿、そなたが味方してくれて心強い」
だが、信秋は本心を隠していた。
桐生軍三千を出陣させたが、その多くは傭兵。主力は犬山に温存した。
第六章:関ヶ原
慶長五年(1600年)九月十五日。
関ヶ原。
東軍と西軍、合わせて十数万の兵が激突した。
桐生軍三千は、東軍の左翼に配置された。だが、積極的には戦わなかった。
「虎吉、無理な突撃はするな。防戦に徹しろ」
信秋の命令は明確だった。
「承知しました」
戦いは激しかった。
だが、正午過ぎ、戦況が一変した。
小早川秀秋が、突然西軍を裏切ったのだ。
「小早川軍が、裏切りました!」
この裏切りにより、西軍は総崩れになった。
「殿、西軍が敗走しております」
「そうか」
信秋は、犬山城の天守から戦場の方角を見つめていた。
自らは参戦せず、虎吉に指揮を任せた。六十歳になった信秋には、もはや戦場は遠い世界だった。
戦いは、東軍の圧勝で終わった。
石田三成は捕らえられ、処刑された。
桐生軍は、大きな損害を出すことなく帰還した。
「殿、我が軍の損失は百名程度です」
虎吉が報告した。
「よくやった」
他の大名の軍が数千の損害を出す中、桐生軍の被害は軽微だった。
だが、これが後に問題になる。
第七章:戦後処理
慶長五年(1600年)、冬。
徳川家康は、関ヶ原の戦功を論じ始めた。
東軍に参加した大名には褒賞を、西軍についた大名には処罰を。
「殿、家康殿がお呼びです」
村井が報告した。
信秋は、大坂城で家康と会談した。
「桐生殿、このたびの戦い、ご苦労だった」
家康は、穏やかな顔をしていた。
「恐れ入ります」
「ところで、桐生殿」家康の顔が、少し厳しくなった。「そなたの軍は、あまり戦わなかったと聞いているが」
「......申し訳ございません」
信秋は覚悟していた。この指摘は来ると。
「我が軍は、防戦に徹しました。攻撃的な戦い方は避けました」
「なぜだ」
「損害を恐れたからです」信秋は正直に答えた。「我が家は小勢。大きな損害を出せば、立ち直れません」
家康は黙って信秋を見つめた。
長い沈黙の後、家康は溜息をついた。
「桐生殿、そなたは昔から変わらないな」
「はい」
「戦わずして勝つ。それが、そなたの流儀だ」
「お恥ずかしい限りです」
家康は笑った。
「いや、それで良い。わしも、そなたを責めるつもりはない」
「ありがとうございます」
「だが、桐生殿」家康は真剣な顔になった。「これからの世は、戦いではなく、統治の時代だ」
「......」
「そなたのような、商業に長けた者が必要だ。わしを、助けてくれないか」
信秋は慎重に答えた。
「家康様、私は喜んでお手伝いいたします。ただし」
「ただし?」
「我が家の独立は、保証していただきたい」
家康は考え込んだ。
「桐生殿、そなたは昔から、独立に固執する」
「はい。それが、我が家の生き方です」
家康は深く息を吐いた。
「わかった。約束しよう。桐生家の独立を認める」
「ありがとうございます」
「ただし、条件がある」
「お聞きします」
「そなたの商業ネットワークを、徳川家のために使わせてもらう。それで良いか」
信秋は少し考えてから、頷いた。
「承知しました」
こうして、信秋は家康との新たな関係を築いた。
第八章:江戸幕府
慶長八年(1603年)、二月。
徳川家康は、征夷大将軍に任命された。
江戸幕府の成立だ。
「殿、新しい時代が始まります」
村井が言った。
「そうだな」
信秋は、窓の外を見た。平和な景色が広がっている。
戦国の世は、ようやく終わろうとしていた。
家康は、全国の大名を統制し始めた。
参勤交代、武家諸法度。様々な制度が作られ、大名たちは幕府に従うことを求められた。
だが、桐生家には特別な扱いがあった。
「桐生家は、参勤交代を免除する」
家康の命令が下った。
「ただし、年に一度は江戸に参府し、報告すること」
これは、事実上の自治権だった。
「殿、我が家は特別扱いです」
河野が喜んだ。
「家康殿が、約束を守ってくれたのだ」
信秋は満足そうに頷いた。
だが、これは家康の生前だけかもしれない。家康が死ねば、約束は反故にされるかもしれない。
「我が家の独立を、永遠のものにしなければならない」
信秋は、新たな策を考え始めた。
第九章:大坂の陣
慶長十九年(1614年)、冬。
大坂冬の陣が始まった。
徳川家康と、豊臣秀頼の最後の戦いだ。
「殿、家康殿から出陣の命令が」
村井が報告した。
「断る」
信秋は即座に答えた。
「しかし、命令です」
「病気だと伝えろ。六十四歳の老人に、戦場は厳しい」
信秋は、この戦いに参加しなかった。
豊臣家は、かつて信秋を支援してくれた恩人だ。その豊臣家を滅ぼす戦いには、加担したくなかった。
冬の陣は、和議で終わった。だが、翌年、夏の陣が始まった。
「殿、再び出陣の命令が」
「また断る」
「しかし、今度は厳しい命令です。拒否すれば」
「わかっている」信秋は溜息をついた。「だが、私は豊臣家を攻められない」
結局、信秋は出陣しなかった。代わりに、虎吉が千の兵を率いて参加した。
大坂夏の陣は、徳川方の勝利で終わった。豊臣家は滅亡した。
戦後、家康は信秋を呼んだ。
「桐生殿、そなたは参陣しなかったな」
「申し訳ございません。病のため」
家康は厳しい顔をした。
「桐生殿、そなたは嘘をついている。本当は、豊臣家を攻めたくなかったのだろう」
「......」
信秋は、何も答えられなかった。
家康は溜息をついた。
「まあ、良い。そなたの気持ちは、わかる」
「ありがとうございます」
「だが、桐生殿。これで、豊臣家は滅んだ。そなたが守るべき義理も、なくなった」
「......はい」
「これからは、徳川家に尽くしてくれ」
「承知しました」
信秋は、深く頭を下げた。
第十章:世代交代
元和二年(1616年)、四月。
徳川家康が死去した。享年七十五歳。
「殿、家康殿が亡くなられました」
村井が報告した。
「そうか......」
信秋は、深く息を吐いた。
家康。五十年来の盟友。共に戦い、共に生き延びてきた男。
その男が、ついに逝った。
「これで、一つの時代が終わった」
信秋も、今や六十六歳。老齢だった。
「若殿」
源蔵が言った。源蔵は九十歳を超え、もはや寝たきりだった。
「源蔵、まだ生きているか」
「はい。若殿が元気なうちは、死ねません」
「そうか」
信秋は、源蔵の手を握った。
「源蔵、我が家は生き延びた」
「はい」
「五十年前、十六歳で家督を継いだ時、私は滅亡を恐れていた」
「覚えております」
「だが、今、我が家は繁栄している。独立も、守った」
信秋は窓の外を見た。
「これも、そなたたち家臣のおかげだ」
「いいえ、若殿の英断のおかげです」
「いや、皆のおかげだ」
二人は、しばらく沈黙した。
数日後、源蔵が死去した。
葬儀の後、信秋は後継者について考え始めた。
信秋には、息子がいた。桐生信吉。今年三十歳になる。
「信吉、そなたに家督を譲る」
「父上、まだお元気ではありませんか」
「いや、もう老いた。そなたに任せる」
こうして、桐生家の家督は、信吉に譲られた。
信秋は隠居し、犬山城の一角で余生を送ることにした。
終章:永遠の独立
元和五年(1619年)、秋。
隠居して三年。信秋は六十九歳になっていた。
「父上、江戸から使者です」
信吉が報告に来た。
「何の用だ」
「徳川秀忠様から、書状が」
信秋は書状を読んだ。
「桐生家の功績を認め、改めて独立を保証する」
短い文面だったが、その意味は大きかった。
家康の死後、信秋は不安だった。新しい将軍・秀忠が、家康の約束を守るかどうか。
だが、秀忠は約束を守った。
「これで、我が家の独立は永遠のものになった」
信秋は満足そうに微笑んだ。
数日後、信秋は犬山城の天守に登った。
もう登るのも辛い年齢だったが、最後にもう一度、この景色を見たかった。
眼下には、犬山の町が広がっている。
五十年前と比べ、町は何倍にも大きくなった。人口は五万を超え、東海随一の商業都市になった。
「よくやった、私」
信秋は、自分に語りかけた。
十六歳で家督を継ぎ、滅亡の危機に瀕していた桐生家。
だが、情報戦と経済戦略で生き延び、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三人の天下人に仕えながらも、独立を守り抜いた。
卑怯と呼ばれることもあった。戦わずして勝つことを選び、時には同盟者を裏切ることもあった。
だが、それで良かった。
「我が家は、生き延びた。領民を守った。それで十分だ」
信秋は、窓の外を見た。
秋の夕日が、町を赤く染めている。
「父上、時代は平和になりました」
信吉が階段を上がってきた。
「そうだな。もう、戦いはない」
「父上の築いた基盤のおかげで、我が家は繁栄しております」
「それは、そなたが引き継いでくれるからだ」
信秋は息子の肩を叩いた。
「信吉、我が家の独立を守ってくれ。永遠に」
「必ず」
父と子は、夕日を見つめた。
戦国の世は終わり、太平の世が始まろうとしていた。
その中で、小さいながらも独立を守り抜いた桐生家。
信秋の生涯は、まさに戦国の奇跡だった。
寛永二年(1625年)、春。
桐生信秋は、静かに息を引き取った。享年七十五歳。
葬儀には、多くの人々が参列した。
商人、農民、武士。信秋に支えられ、信秋を支えた人々だ。
そして、徳川幕府からも使者が来た。
「桐生信秋公は、戦国を生き抜いた名将である。その功績を讃え、これを記録に残す」
幕府は、信秋の功績を公式に認めた。
桐生家は、その後も独立を保ち続けた。
参勤交代を免除され、自治権を認められ、江戸時代を通じて独自の領地経営を続けた。
そして、明治維新の際には、速やかに新政府に恭順し、華族となった。
小さな勢力が、四百年にわたって独立を保ち続けた。
それは、桐生信秋という一人の男の、執念と知恵の結果だった。
完
※本作品はフィクションです。登場する人物、団体、事件等は架空のものです。一部史実の人物名が登場しますが、物語は完全な創作です。
桐生信秋の生涯
天文二十三年(1554年)生 - 寛永二年(1625年)没
十六歳で家督相続
五十年にわたり桐生家を統治
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えながらも独立を維持
情報戦と経済戦略により、小勢力ながら戦国時代を生き抜いた
桐生家の系譜
初代:桐生信秋(1554-1625)
二代:桐生信吉(1589-1651)
三代以降:明治維新まで続く
石高:十二万石(公称)
実質収入:四十万石相当(商業収入含む)
特権:参勤交代免除、自治権