あらすじ
東都大学大学院生・桐生悠真、二十四歳。彼の日常は至って平凡だった——週四回の深夜コンビニバイトと、機械学習の研究。奨学金とバイト代でなんとか生活を回す、どこにでもいる苦学生。
そんな悠真の人生が一変したのは、二月のある深夜のことだった。
怪しげなスーツの男、銃を持った追手、そして押し付けられた謎のUSBメモリ——。
「僕、ただのコンビニ店員なんですけど!?」
叫んでも誰も助けてくれない。平凡な大学院生は、否応なくスパイの世界に引きずり込まれていく。
これは、コンビニを舞台に繰り広げられる、ちょっとおかしなスパイ・コメディである。
一
深夜のコンビニエンスストアには、独特の空気がある。
蛍光灯の白い光が隅々まで行き渡り、影というものがほとんど存在しない。冷蔵庫のコンプレッサーが低く唸り続け、有線放送からは誰も聴いていないJ-POPのインストゥルメンタルが流れている。時折、自動ドアのセンサーが風に反応してウィーン、ウィーンと開閉を繰り返す。
桐生悠真は、そんな深夜のコンビニが嫌いではなかった。
「…………」
レジカウンターに肘をつき、スマートフォンの画面を睨む。表示されているのは英語の論文だ。
『Deep Learning Approaches for Anomaly Detection in Network Traffic』
ネットワークトラフィックにおける異常検知のための深層学習アプローチ。明日の研究ミーティングで発表する予定の論文である。
時刻は午前一時三十二分。
ここは「ファミリーストップ中井坂上店」。新宿区の外れに位置する、何の変哲もないコンビニエンスストア。悠真は週に四回、午後十時から翌朝六時までの深夜シフトを担当していた。
深夜バイトを選んだ理由は単純だ。時給が高い。そして客が少ない時間帯は勉強ができる。
悠真は東都大学大学院の修士二年。専門は機械学習を用いたサイバーセキュリティ——平たく言えば、コンピュータに「怪しいもの」を見分けさせる研究をしている。
奨学金だけでは家賃と学費と生活費を賄えない。実家からの仕送りは断っていた。地方で一人暮らしをしている母に、これ以上負担をかけるわけにはいかない。
だから、こうして深夜に働きながら論文を読む。昼は研究室でコーディング、夜はコンビニでレジ打ち。睡眠時間は一日四時間がいいところだ。
「健康的とは言えないよな……」
独り言が漏れる。
まあ、あと一年の辛抱だ。修士を修了すれば、大手IT企業への内定が決まっている。そうすれば生活は安定する。
そう自分に言い聞かせていると——
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
反射的に出た声。深夜バイトを二年も続けていると、この挨拶は完全に自動化される。脳を経由せず、ドアの開閉音を感知した瞬間に口が動く。もはや人間というより、音声認識システムに近い。
入ってきたのは若い男だった。パーカーにジーンズというラフな格好。髪は少し長めで、無精髭が目立つ。
男は店内をぐるりと見回した後、雑誌コーナーへ向かった。
悠真は視線をスマートフォンに戻した。立ち読み客か。まあ、深夜のコンビニではよくある光景だ。
十分ほど経った頃、男は雑誌を棚に戻し、何も買わずに店を出ていった。
「ありがとうございましたー」
これも反射的な声。
自動ドアが閉まり、再び静寂が訪れる。
(さて、論文の続きを——)
また自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
今度はスーツ姿の男だった。四十代半ばくらい。銀縁の眼鏡をかけ、髪はきっちりと撫でつけられている。高そうなコートを羽織り、革靴は磨き上げられている。
一見すると、残業帰りのサラリーマン。
だが——悠真は眉をひそめた。
何かがおかしい。
情報工学を専攻していると、パターン認識に敏感になる。人間の行動にも、ある種のパターンがある。深夜のコンビニに来る客の動きは、だいたい予測がつくものだ。
この男の動きは、そのパターンから外れていた。
入口で立ち止まり、店内全体を見渡す。その視線は商品棚ではなく、天井の監視カメラ、窓の位置、そして悠真のいるレジを確認している。
(なんだ、この人)
男は深呼吸を一つして、おにぎりコーナーへ向かった。
歩き方も妙だ。一歩一歩が慎重で、足音を立てないように意識している。そして数歩ごとに、入口の方をちらりと振り返る。
おにぎりの棚の前で、男は立ち止まった。
手を伸ばしかけて、引っ込める。また伸ばす。引っ込める。
その動きを三回繰り返した後、結局何も取らずに飲料コーナーへ移動した。
(おにぎり選びに三十秒以上かけて結局買わないの、どういうこと?)
悠真は心の中でツッコんだ。
そして気づいた。
男の額に、汗が滲んでいる。
外は二月の冷え込みだ。今夜の最低気温は零度近い。暖房の効いた店内とはいえ、入店してすぐに汗をかくほどの温度差ではない。
(何かから逃げてる……?)
いやいや、考えすぎだ。たぶん浮気がバレて家に帰れなくなったサラリーマンか何かだろう。そういう客は深夜のコンビニにはよくいる。
男がレジへ向かってきた。手には緑茶のペットボトル。
「百五十二円になります」
悠真は努めて平静な声を出した。
男は財布を取り出した。高級ブランドの長財布。中には万札が何枚も入っているのが見える。
(金持ってるじゃん。なんでこんな汗だくなの)
男が小銭を取り出そうとして——手が滑った。
硬貨が床に散らばる。
カラン、カラン、カラン。
「あっ、すみません……」
男は慌ててしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですよ、拾いますね」
悠真はカウンターを回り、床に散らばった硬貨を拾い集めた。
百円玉、五十円玉、十円玉、一円玉——。
(あれ、この一円玉、なんか重くない?)
一枚だけ、妙に重い一円玉があった。気のせいかと思い、深く考えずに他の硬貨と一緒に拾い上げる。
「はい、百五十二円ちょうどですね」
「ありがとう」
男は小さく頭を下げ、お茶を受け取った。
そして——帰るのかと思いきや、男はカウンター脇のイートインスペースへ向かった。窓から最も遠い、一番奥の席に座る。
ペットボトルのお茶を開けもせず、ただ座っている。
(絶対なんかある、この人)
悠真の野生の勘がそう告げていた。
だが、だからといって何ができるわけでもない。
とりあえず論文の続きを——
自動ドアが開いた。
今度は二人組だった。
黒いコートを着た、がっしりとした体格の男たち。年齢は三十代後半から四十代前半といったところ。どちらも短髪で、顔つきは厳しい。
「いらっしゃいませー」
悠真の声に、二人は反応しなかった。
まっすぐ店内を見渡し、イートインスペースに座る男を見つけると、そちらへ歩き始めた。
「おい」
低い声。威圧的な響き。
イートインの男は顔を上げた。
「やはり来たか」
「外へ出ろ。話がある」
「断る」
(えっ、何この展開)
悠真は固まった。
「公衆の面前でする話じゃない。わかってるだろう」
「私にはわかっているさ。だが、君たちはわかっているのか? 自分たちが何をしているのか」
「御託はいい。来い」
黒コートの一人が、男の腕を掴もうとした。
その瞬間——
悠真は信じられないものを見た。
イートインの男が動いた。
掴みかかってきた腕を外側にいなし、手首を取って、肘を反対側に極める。
「ぐっ……!」
黒コートが苦痛の声を上げる。
もう一人が反応した。懐に手を入れ、何かを取り出そうとする。
イートインの男は、極めた関節をてこにして相手の体を回転させ、もう一人の方へ突き飛ばした。
二人がもつれて倒れる。
三秒。
いや、二秒もかかっていない。
(…………は?)
悠真は呆然とその光景を見ていた。
イートインの男は素早く周囲を確認すると、悠真の方へ向かってきた。
「すまない。巻き込んでしまった」
「あ、あの……何が……」
「説明している時間がない」
(いや、説明してくれないと困るんですけど!?)
悠真は心の中で絶叫した。
男はポケットから何かを取り出した。
黒い、小さな直方体。親指ほどのサイズ。
USBメモリだ。
「これを預かってほしい」
「は……?」
「三日後、午前零時。この店に受取人が来る。その人物に渡してくれ」
「いや、ちょっと待ってください。意味が——」
「合言葉がある」
男は悠真の目をまっすぐに見た。
「こちらから『月は東に日は西に』と言え。相手が『蕪村の句か』と答えたら、本物だ」
「蕪村……って、あの俳人の?」
「そうだ。与謝蕪村。覚えられるな?」
「いや、覚えられるとか覚えられないとかじゃなくて——」
(なんで俳句? もっと他になかったの? せめて『山』『川』とかにしてくれよ!)
床に倒れていた二人が動き始めた。一人が無線機のようなものを取り出し、何か話している。
「時間がない」
男は悠真の手を取り、USBメモリを握らせた。
「なぜ僕に……」
「君は一般人だ。彼らも、まさか一般人にデータを渡すとは思わない」
「いやいやいや! 一般人だからこそ巻き込まないでください!」
悠真は必死に抗議した。
だが、男は聞いていない。
「このデータには、多くの人の命がかかっている。三日後、必ず受取人に渡してくれ」
「命って——」
自動ドアが開いた。
悠真は振り返った。
新たに三人の男が入ってきた。先ほどの二人よりさらに屈強な体格。
そして——手に持っているもの。
黒い金属の塊。短い銃身。特徴的なシルエット。
(…………銃?)
悠真の思考が停止した。
拳銃だ。
本物の。
「動くな」
先頭の男が冷たい声を発した。
銃口が、悠真とイートインの男に向けられている。
(ちょっと待って。待って待って待って)
これは現実なのか。
深夜二時のコンビニで、銃を向けられている。
日本で。東京で。新宿区の住宅街で。
(僕、ただのコンビニ店員なんですけど!?)
悠真は叫びたかった。声が出なかった。
イートインの男が、悠真を庇うように前に出た。
「彼は関係ない。ただのアルバイト店員だ。巻き込むな」
「そうはいかない。お前が何かを渡したのは見ていた。そのガキも連れていく」
「データなら私が持っている。彼には何も——」
「嘘をつくな」
別の男が、悠真の方に銃口を向けた。
「おい、ガキ。今何か受け取っただろう。大人しく出せ」
悠真は握りしめた拳を見た。その中にはUSBメモリがある。
(どうする。渡す? 渡さない?)
いや、そもそも——
(なんで僕がこんな判断しなきゃいけないの!?)
理不尽だ。あまりにも理不尽だ。
ついさっきまで、論文を読んでいただけなのに。異常検知アルゴリズムの性能評価について考えていただけなのに。
なぜ今、銃を向けられているのか。
「早くしろ。さもないと——」
その時だった。
イートインの男が動いた。
信じられない速度で、銃を持った男に飛びかかる。銃口が天井に向けられ——
発砲音が響いた。
轟音。
悠真は耳を塞いだ。
「伏せろ!」
イートインの男が叫ぶ。
同時に、別の男が発砲した。
ガラスが砕け散る音。弾丸が商品棚を貫通し、ペットボトルが破裂する。お茶が飛び散る。
(おでんの仕込み、やり直しじゃん……)
なぜかそんなことを考えた。パニックになると、人間は妙なことを考えるものだ。
悠真は床に伏せた。頭を抱え、体を丸める。
銃声。怒号。格闘の音。
そして——
「ぐっ……!」
イートインの男の声。
顔を上げると、男が肩を押さえているのが見えた。指の間から血が流れている。
撃たれた。
「逃げろ」
男は悠真を見た。その顔は苦痛に歪んでいるが、目だけは真剣だった。
「裏口から逃げろ。データを……頼む……」
「で、でも——」
「行け!」
悠真は這うようにしてバックヤードへ向かった。
(逃げていいのか? この人を置いて?)
いや、逃げなきゃ死ぬ。
銃弾が飛び交う中、悠真は必死に床を這った。
バックヤードのドアに手をかける。開ける。転がり込む。
背後で銃声が続いている。
勝手口。勝手口から逃げなければ。
段ボール箱の山を避けながら、狭い通路を駆け抜ける。
勝手口のドアに手をかける。施錠を外す。押し開ける。
冷たい夜風が顔を打った。
二月の深夜。気温は零度近い。
だが、悠真は寒さを感じなかった。
走った。
振り返らずに走った。
住宅街の細い路地を駆け抜け、大通りを横切り、また路地へ。
心臓が破裂しそうだった。息が上がる。足がもつれる。
それでも走り続けた。
二
どれくらい走っただろう。
気がつくと、悠真は自分のアパートの前に立っていた。
「阿佐見ハイツ」。
築三十年、家賃五万八千円、六畳一間のワンルームマンション。お世辞にも綺麗とは言えない外観だが、悠真にとっては唯一の城だ。
震える手で鍵を開け、中に転がり込む。
ドアを閉める。鍵をかける。チェーンもかける。
そのまま、ドアに背中を預けて床に座り込んだ。
「はあ……はあ……」
荒い呼吸が、静まり返った部屋に響く。
右手に何かが握られていた。
USBメモリ。
悠真はそれを見つめた。
「何なんだよ、これ……」
声が震えていた。
あの男は何者だ。追いかけてきた連中は誰だ。USBメモリの中身は何だ。
わからない。何もわからない。
ただ一つ確かなのは——
(僕、とんでもないことに巻き込まれた)
警察に——
そう思った瞬間、悠真は手を止めた。
警察に行って、何と言う?
「コンビニで銃撃戦がありました。謎の男からUSBメモリを預かりました。中身は知りません」
……信じてもらえる気がしない。
下手したら、自分が容疑者にされるかもしれない。
(どうしよう)
悠真は頭を抱えた。
その時、スマートフォンが震えた。
メッセージの通知。
知らない番号から。
心臓が跳ねた。
恐る恐る、メッセージを開く。
『桐生悠真様。あなたが持っているものについて、お話があります。明日の正午、新宿中央公園の時計塔前で。一人で来てください。——K』
悠真は画面を見つめたまま、動けなくなった。
知らない番号。
なのに——相手は悠真の名前を知っている。
そして「持っているもの」。USBメモリのことだ。
(どうやって僕の連絡先を……)
いや、考えてみれば難しいことではない。コンビニの店員だ。名札をつけている。「桐生」という苗字は見られていた。そこから特定するのは、それほど難しくないだろう。
問題は——
「K」とは誰だ。
あの男の仲間か。それとも、追っ手の側か。
どちらにせよ、無視することはできない。
悠真は深いため息をついた。
時刻は午前三時十五分。
眠れるはずがない——と思ったが、体は限界だった。
恐怖と興奮で消耗しきった体が、強制的にシャットダウンを始めている。
悠真はベッドに倒れ込んだ。
USBメモリを握りしめたまま、目を閉じる。
意識が、暗闇の中へ落ちていった。
三
翌日。
目が覚めたのは、スマートフォンのアラーム音だった。
「うるさい……」
手を伸ばし、画面をタップして音を止める。
時刻は午前八時。
「……あ」
悠真は飛び起きた。
昨夜のことが、一気に頭の中に蘇ってくる。
コンビニ。スーツの男。銃撃。逃走。USBメモリ。
そして——「K」からのメッセージ。
『明日の正午、新宿中央公園の時計塔前で』
行くべきか。行かないべきか。
悠真は窓の外を見た。見慣れた住宅街の風景。朝の光の中、通勤や通学の人々が行き交っている。
何も変わっていないように見える。
だが、自分の世界は——昨夜、完全に変わってしまった。
(とりあえず、大学に行こう)
日常を維持しなければ。
研究ミーティングがある。論文の発表をしなければならない。
悠真はUSBメモリをジーンズのポケットに押し込み、アパートを出た。
四
東都大学・中野キャンパス。
研究ミーティングは、なんとか乗り切った。
だが、教授の評価は芳しくなかった。
「桐生くん、今日はいつもより準備不足に見えましたね」
「すみません。少し体調を崩していて……」
「くれぐれも無理をしないように」
ミーティングが終わり、悠真は研究室に戻った。
時刻は午前十一時。
「K」との約束まで、あと一時間。
「……行くしかないか」
情報がなさすぎる。このまま三日間をやり過ごせるとは思えない。「K」が敵か味方か、確かめる必要がある。
悠真は研究室を出て、新宿へ向かった。
五
新宿中央公園。
時計塔は公園の中央付近にあった。レンガ造りの瀟洒な塔で、待ち合わせ場所としてよく使われる。
悠真は約束の三十分前に到着し、周囲を観察していた。
平日の正午。公園内にはそこそこの人出がある。昼休みを過ごすサラリーマンやOL、犬の散歩をする老人、ベンチで弁当を食べる人々。
人目がある。これなら、いきなり襲われることはないだろう。
時計の針が正午を指した。
その瞬間——
「桐生悠真さんですね」
声は、背後から聞こえた。
悠真は振り返った。
そこに立っていたのは——
女性だった。
二十代後半くらいだろうか。黒いパンツスーツに身を包み、髪は肩につくかつかないかの長さ。切れ長の目と、すっと通った鼻筋。
美人だった。
かなりの美人だった。
だが、それ以上に——この女性からは、独特の緊張感が漂っていた。立ち姿に隙がない。昨夜の男と、同じ雰囲気。
「あなたが、K……?」
「ええ。神崎美咲と申します」
女性は小さく頭を下げた。
「場所を変えてお話ししましょう。ここでは人目がありすぎます」
(いや、人目があった方が安全じゃない?)
悠真は心の中でツッコんだが、結局神崎の後をついていった。
ここまで来て引き返すわけにはいかない。
六
神崎が案内したのは、「珈琲の城」という昭和レトロな喫茶店だった。
奥のボックス席に座り、コーヒーを注文する。
「まず、お礼を言わせてください」
神崎が口を開いた。
「一昨日の夜、あなたは藤堂さんからデータを託されました。そして、追手から逃げ切った。簡単なことではありません」
「藤堂……あの、スーツの男の名前ですか」
「ええ。私の先輩にあたる人です。今は病院にいます。銃創を負いましたが、命に別状はありません」
「そうですか……」
生きていた。よかった。
「私は内閣情報調査室——通称『内調』に所属しています」
「内調……日本版CIAみたいな?」
「おおまかに言えば、そうです」
(マジか)
悠真は内心で驚いた。本当にスパイ組織だったのか。
「あのUSBメモリには、日本の安全保障に関わる極めて重要な情報が含まれています。悪用されれば、多くの人の命が危険にさらされます」
「じゃあ、追ってきた連中は——」
「敵対する組織の人間です」
神崎は真剣な目で悠真を見た。
「お願いがあります。USBメモリを、私に渡してください」
当然の要求だった。
悠真はポケットに手を入れ——止まった。
「待ってください。あなたが本物かどうか、どうやって確かめれば?」
神崎は少し驚いた顔をした。そしてすぐに、小さく笑った。
「なるほど。慎重ですね。いい心がけです」
「藤堂さんは合言葉を教えてくれました。『月は東に日は西に』と」
「では、改めて。合言葉をどうぞ」
「月は東に日は西に」
神崎は微笑んだ。
「蕪村の句か。『菜の花や 月は東に 日は西に』。春の夕暮れを詠んだ、美しい句ですね」
正解だ。
悠真はポケットからUSBメモリを取り出し、神崎に渡した。
「ありがとうございます。これで——」
その時だった。
店の入口が、乱暴に開いた。
三人の男が入ってきた。
黒いコート。鋭い目つき。
(またかよ!)
悠真は叫びたかった。
「伏せて!」
神崎が叫んだ。
同時に、男たちの手に銃が現れた。
第一話「深夜二時の機密情報」 了
次回、第二話「おでんとカーチェイス」に続く