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Easy Runningコンビニエント・スパイ 第四話「本部はバックヤード」

あらすじ

恵方巻き作戦から一週間。

マイクロSDカードは無事に内調本部へ届けられ、悠真の生活は平穏を——取り戻すはずだった。

「桐生さん、ここを臨時の拠点にしたいのですが」

神崎の爆弾発言により、ファミリーストップ中井坂上店のバックヤードは、いつの間にか内調の「臨時連絡所」になっていた。

段ボールの山に紛れた通信機器。おでんの仕込みをしながらの暗号解読。レジを打ちながらのエージェント間連絡。

「バイト先がスパイの秘密基地って、聞いてないんですけど!?

コンビニとスパイ活動の境界線が、どんどん曖昧になっていく。

そして現れる、神崎の「後輩」を名乗る青年。彼の登場で、物語は新たな展開を迎える——。


二月十日。

恵方巻き作戦から一週間が経過していた。

あれから、悠真の生活は——表面上は——平穏を取り戻していた。

大学で研究をして、コンビニでバイトをして、帰宅して眠る。

ただし、帰宅先には神崎美咲がいる。

そして、バイト先にも神崎美咲がいる。

「いらっしゃいませー」

午後三時。ファミリーストップ中井坂上店。

悠真はレジに立ち、いつも通りの業務をこなしていた。

「お弁当温めますか」

「お願いします」

「かしこまりました」

電子レンジのボタンを押す。五百ワットで一分三十秒。

その間に、ふと窓の外を見る。

平和だ。

追手の気配はない。黒いワンボックスも、黒いセダンも見当たらない。

「はい、お待たせしました」

「ありがとう」

客が出ていく。

悠真は小さく息をついた。

(本当に、終わったのかな……)

マイクロSDカードは内調に届けられた。敵がそれを追う理由はもうない。

神崎は「念のため」と言って警護を続けているが、実際のところ、この一週間は何事もなく過ぎていた。

「桐生さん」

声がして振り返ると、神崎がバックヤードから顔を出していた。

「少しいいですか」

「あ、はい」

悠真はレジを離れ、バックヤードへ向かった。

ドアを開けると——

「うわっ」

思わず声が出た。

バックヤードの光景が、一変していた。

いつもの段ボールの山はそのままだが、その隙間に——見慣れない機材が設置されている。

小型のモニター。キーボード。何かのアンテナのようなもの。そして、点滅する緑色のランプ。

「な、何ですかこれ」

「通信設備です」

神崎は涼しい顔で答えた。

「本部との連絡用に、最低限のものを揃えました」

「最低限!? これが!?

「ええ。本格的な拠点なら、この十倍の機材が必要です」

「そういう問題じゃなくて——」

悠真は頭を抱えた。

「なんでバイト先に設置してるんですか!」

「隠れ蓑として最適だからです」

神崎は説明を始めた。

「コンビニは二十四時間営業。人の出入りが多く、不審に思われにくい。監視カメラもある。電源も安定している。通信環境も——」

「いやいやいや、そういうことじゃなくて!」

悠真は絶叫した。

「店長に許可取ったんですか!?

「取りました」

「え?」

「『倉庫の整理をしたい』と言ったら、快く許可してくれましたよ」

「それ許可の内容が違うでしょ!」

「細かいことは気にしない方がいいですよ」

「細かくない! 全然細かくない!」

悠真のツッコミは、例によってスルーされた。

神崎はモニターの前に座り、キーボードを叩き始めた。

「本部からの定時連絡です。少々お待ちください」

「……」

悠真は呆然と立ち尽くした。

バイト先のバックヤードが、スパイの通信基地になっている。

(僕の日常、どこへ行った……)

その日の夜。

悠真はアパートで、神崎と向き合っていた。

「説明してください」

「何をですか?」

「何をって——全部ですよ! なんでバックヤードがあんなことになってるんですか!」

神崎は湯呑みに入ったお茶を一口飲んでから、口を開いた。

「桐生さん。内調の状況は、今、非常に厳しいんです」

「厳しい?」

「ええ。藤堂さんが撃たれた事件——あれは、内部に裏切り者がいることを示唆しています」

「裏切り者……」

「藤堂さんの行動は、ごく一部の人間しか知らなかったはずなんです。それなのに、敵に待ち伏せされた。情報が漏れていた可能性が高い」

悠真は息を呑んだ。

「だから、通常の連絡ルートが使えないんです。どこから情報が漏れるかわからない。本部に戻ることすら、リスクがある」

「それで——」

「ええ。当面の間、私は『独立して行動』することになりました。信頼できる仲間とだけ連絡を取り、独自に調査を続ける」

「その拠点が、コンビニのバックヤードだと」

「はい」

神崎は真剣な目で悠真を見た。

「ご迷惑をおかけするのは承知しています。でも、他に適切な場所がなかったんです」

「……」

悠真は黙り込んだ。

迷惑といえば迷惑だ。巻き込まれたくないといえば、巻き込まれたくない。

でも——

「神崎さん」

「はい」

「僕に、何かできることはありますか」

神崎は目を丸くした。

「……いいんですか?」

「いいも何も——もう十分巻き込まれてますし」

悠真は肩をすくめた。

「それに、放っておくわけにもいかないでしょ。うちのバックヤードが秘密基地になってる以上」

「……ありがとうございます」

神崎は微笑んだ。

本当に嬉しそうな笑顔だった。

「では、一つお願いがあります」

「何ですか」

「明日、一人の人物がお店を訪ねてきます。私の後輩で、信頼できるエージェントです」

「後輩……」

「彼と連絡を取り合いながら、調査を進めます。桐生さんには、その橋渡し役をお願いしたいんです」

「橋渡し?」

「私が店内で動けない時、彼との連絡をお願いするかもしれません。簡単なメッセージの受け渡しくらいですが」

悠真は考えた。

メッセージの受け渡し。

それくらいなら——

「わかりました」

「ありがとうございます。彼の名前は、真木雄一郎といいます」

「真木雄一郎……」

「明日の午後、お店に来る予定です。目印は——」

神崎は少し考えてから言った。

「フランクフルトを三本買う人です」

「……それ、目印として微妙じゃないですか」

「そうですか? フランクフルトを三本買う人は珍しいと思いますが」

「いや、たまにいますよ。がっつり食べたい人とか」

「では、合言葉を決めましょう」

「また合言葉……」

悠真はため息をついた。

「こちらから『本日のおすすめは肉まんです』と言ってください」

「肉まん」

「相手が『では、肉まんを二つ』と答えたら、本物です」

「……普通の注文との区別がつかないんですけど」

「大丈夫です。肉まん二つと言った後、さらに『温めは不要です』と付け加えます」

「肉まんを温めないって、変じゃないですか」

「だからこそ、合言葉になるんです」

「……なるほど」

理屈はわかる。

わかるけど——

(スパイの世界って、なんかズレてるよな……)

悠真はそう思いながらも、頷いた。

「わかりました。明日、やってみます」

「ありがとうございます。頼りにしてますよ、桐生さん」

神崎は嬉しそうに笑った。

その笑顔を見ていると——まあいいか、という気持ちになってくるから不思議だった。

翌日、午後二時。

悠真はレジに立ちながら、そわそわしていた。

(真木雄一郎……どんな人だろう)

神崎の後輩ということは、同じく内調のエージェント。

屈強な体格だろうか。鋭い目つきだろうか。スーツをビシッと着こなした、いかにも「できる男」という感じだろうか。

自動ドアが開いた。

「いらっしゃいませー」

入ってきたのは——

若い男だった。

二十代前半くらい。悠真と同じか、少し下かもしれない。

だが——

想像していたのとは、まったく違った。

ひょろりとした体型。少し猫背気味。髪はボサボサで、度の強そうな眼鏡をかけている。服装は——チェックのシャツにジーンズ。首にはヘッドフォンをかけている。

どう見ても——

(オタクじゃん)

失礼な感想が浮かんだが、実際そう見える。秋葉原を歩いていても、まったく違和感のないタイプ。

男はキョロキョロと店内を見回しながら、ホットスナックコーナーへ向かった。

そして——フランクフルトを指さした。

「これ、三本ください」

悠真の心臓が跳ねた。

(三本——!)

フランクフルト三本。神崎が言っていた目印だ。

悠真はトングでフランクフルトを取りながら、さりげなく言った。

「本日のおすすめは肉まんです」

男がぴくりと反応した。

「……では、肉まんを二つ」

「かしこまりました」

悠真は肉まんを取り出した。

「温めますか」

「いえ」

男は眼鏡の奥の目を光らせた。

「温めは不要です」

——ビンゴ。

悠真は内心でガッツポーズをした。

「合計で五百六十円になります」

「はい」

男は支払いを済ませ、商品を受け取った。

そして小声で言った。

「桐生悠真さんですね。真木雄一郎です。神崎先輩から聞いています」

「あ、はい……」

「後で話がしたいんですが、何時に休憩ですか」

「えーと、三時から十五分——」

「じゃあ、その時に。裏手で待ってます」

真木はそう言うと、フランクフルトと肉まんを持って店を出ていった。

悠真は呆然とその背中を見送った。

(あれがスパイ……?)

神崎とは、あまりにもタイプが違いすぎる。

午後三時。

悠真は休憩を取り、店の裏手に回った。

真木雄一郎は、そこで待っていた。フランクフルトを頬張りながら。

「あ、桐生さん。お疲れ様です」

「お疲れ様です……」

「フランクフルト食べます? 一本余ってるんで」

「いえ、大丈夫です」

悠真は真木を改めて観察した。

やはり、どう見てもスパイには見えない。大学のサークルにいそうなタイプだ。プログラミング研究会とか、アニメ同好会とか。

「じろじろ見てますね」

真木が言った。

「あ、すみません」

「いいですよ。よく言われるんで。『スパイに見えない』って」

「……そうなんですか」

「ええ。でも、それが僕の強みなんです」

真木はフランクフルトを食べ終え、串を捨てた。

「僕の専門は情報戦です。ハッキング、暗号解読、データ分析。体を動かす仕事は苦手ですが、その分、頭を使う仕事は得意です」

「なるほど……」

「神崎先輩は逆ですね。戦闘能力は内調でもトップクラスですが、IT関係はからきし」

「そうなんですか」

意外だった。神崎は何でもできるイメージがあったのに。

「だから、僕たちは補完関係にあるんです。先輩が体を張って、僕がサポートする。今回もそのパターンになると思います」

真木は眼鏡を押し上げた。

「桐生さん、あなたにもお願いがあります」

「僕に?」

「ええ。先輩から聞きました。あなた、情報工学が専門なんですよね」

「まあ、一応……」

「僕と一緒に、データ分析を手伝ってもらえませんか」

「え?」

悠真は驚いた。

「僕がですか? でも、僕はスパイでも何でもないですよ」

「わかってます。でも、専門知識がある人は貴重なんです。特に、機械学習とか、異常検知とか——先輩から聞きましたよ。あなたの研究分野」

「……」

悠真は黙り込んだ。

異常検知。

それは確かに、悠真の専門分野だ。ネットワークトラフィックの中から、怪しいパターンを見つけ出す技術。

「今回の調査では、大量のデータを分析する必要があるんです。通信記録、取引履歴、人の動き——その中から、裏切り者の痕跡を見つけ出す」

「……」

「あなたの知識が、役に立つと思うんです」

真木の目は真剣だった。

オタクっぽい外見の奥に、確かな知性が光っている。

「……わかりました」

悠真は答えた。

「できる範囲でなら、手伝います」

「ありがとうございます!」

真木は嬉しそうに笑った。

「じゃあ、さっそく——バックヤードに行きましょう。機材は設置済みですよね」

「ええ、まあ……」

二人は店の裏口からバックヤードに入った。

バックヤードで、真木は目を輝かせた。

「おお、いい環境ですね。神崎先輩、仕事が早い」

「これ、全部神崎さんが?」

「ええ。僕がスペックを指定して、先輩が調達しました」

真木はモニターの前に座り、キーボードを叩き始めた。

「まず、現状を説明しますね」

画面に、複雑な図が表示された。

「これが、内調の組織図です。藤堂さんの行動を知っていたのは、この範囲の人間——」

赤い丸で囲まれた部分が示された。

「約二十名。この中に、裏切り者がいる可能性が高い」

「二十人……」

「多いですよね。だから、絞り込みが必要なんです」

真木は別の画面を開いた。

「ここに、その二十名の行動記録があります。通信記録、位置情報、金融取引——すべてのデータを分析して、不審な点がないか調べます」

「……それ、プライバシー的に大丈夫なんですか」

「内調ですから」

真木はあっさり言った。

「国家安全保障のためなら、ある程度のことは許容されます」

「……」

悠真は複雑な気持ちになった。

スパイの世界は、倫理観が違う。

「で、ここからが本題なんですが」

真木は悠真の方を向いた。

「桐生さん。このデータから、異常なパターンを検出するアルゴリズム——作れますか?」

「アルゴリズム?」

「ええ。機械学習を使って、普通の行動と違う行動を検出する。あなたの専門でしょう」

悠真は画面を見た。

大量のデータが表示されている。通信ログ、GPS記録、クレジットカードの使用履歴——

「……できるかもしれません」

「本当ですか!」

「ただ、時間がかかります。データの前処理も必要ですし、モデルの設計も——」

「時間はあります。じっくりやってください」

真木は嬉しそうに言った。

「僕がサポートしますから。データの整形とか、環境構築とか、何でも言ってください」

「……わかりました」

悠真は頷いた。

まさか、コンビニのバックヤードでスパイ組織の裏切り者を見つけるための機械学習モデルを作ることになるとは。

人生、本当に何があるかわからない。

それから数日間、悠真は二重生活を送ることになった。

表向きは、普通のコンビニバイト。

裏では、真木と一緒にデータ分析。

「桐生さん、この特徴量の選択、いいですね」

「ありがとうございます。通信の頻度と時間帯に相関があると思って——」

「なるほど。確かに、夜中に集中して通信している人は怪しいですね」

バックヤードの片隅で、二人はノートパソコンを並べて作業していた。

「ただ、それだけだと誤検知が多そうです。夜型の人もいるでしょうし」

「ですよね。だから、他の要素も組み合わせて——」

「おーい、桐生くーん」

店長の声がした。

「レジお願いー」

「あ、はい! すぐ行きます!」

悠真は立ち上がり、店内に駆け戻った。

「いらっしゃいませー」

客の対応をしながら、頭の中ではアルゴリズムのことを考えている。

特徴量の選択。モデルの構造。過学習の防止——

「お弁当温めますか」

「はい」

電子レンジのボタンを押す。

(通信パターンだけじゃなくて、行動パターンも見るべきだな。移動履歴と照らし合わせて——)

「はい、お待たせしました」

「ありがとう」

客が出ていく。

悠真はまたバックヤードに戻った。

「真木さん、思いついたんですけど——」

「何ですか?」

「通信パターンと移動パターンを組み合わせたらどうでしょう。普段の行動範囲から外れた場所で、普段と違う時間に通信している——そういうケースを検出する」

「おお、それいいですね!」

真木は目を輝かせた。

「さすが専門家。発想が違う」

「いや、基本的なことですけど……」

「基本が大事なんですよ。僕みたいな独学だと、どうしても偏りが出るんで」

真木はキーボードを叩き始めた。

「よし、その方針でモデルを組み直しましょう。データは僕が整形するんで、桐生さんはアルゴリズムの設計をお願いします」

「わかりました」

二人は作業に没頭した。

「桐生くーん、レジー」

「はい!」

……と、中断されながら。

一週間後。

モデルは完成した。

「できました……」

悠真は疲労困憊の状態で、モニターを見つめていた。

画面には、分析結果が表示されている。

二十名の候補者のうち、異常スコアが高い順にランキングされている。

「一位は——」

真木が画面を覗き込んだ。

「……水野誠司。総務部の次長」

「知ってる人ですか」

「ええ。神崎先輩の上司です」

悠真は息を呑んだ。

「神崎さんの上司が——裏切り者?」

「可能性が高い、というだけです。まだ確定じゃない」

真木は慎重に言った。

「でも、このスコアは無視できない。彼の行動パターンには、明らかに不審な点がある」

画面に詳細が表示された。

水野誠司。四十五歳。内調に二十年以上勤務するベテラン。

だが——

「深夜二時から四時の間に、定期的に暗号化された通信を行っている。しかも、その通信先は——内調のどのサーバーとも一致しない」

「外部と連絡を取っている……」

「ええ。しかも、この通信が行われた日の翌日には、必ず何かの事件が起きている。藤堂さんが襲撃された日の前日も、通信があった」

悠真は背筋が寒くなった。

「じゃあ、この人が——」

「まだ断定はできません。でも、限りなく黒に近いグレーです」

真木は立ち上がった。

「神崎先輩に報告しましょう」

二人はバックヤードを出て、店内を見回した。

神崎は——いなかった。

「あれ、先輩は?」

「シフト終わって、先に帰ったと思いますけど」

「じゃあ、アパートに——」

その時、真木の携帯電話が鳴った。

「はい、真木です。——え?」

真木の顔色が変わった。

「神崎先輩が——拘束された?」

「どういうことですか!」

悠真は叫んだ。

真木は電話を切り、深刻な表情で言った。

「神崎先輩が、内調の保安部に拘束されました。容疑は——機密漏洩」

「機密漏洩!? 神崎さんが!?

「ありえない。先輩がそんなことをするはずがない」

真木は拳を握りしめた。

「これは——」

「罠ですか」

「ええ。おそらく、水野次長の仕業です。自分に疑いが向きそうになったから、先手を打って神崎先輩を陥れた」

「そんな……」

悠真は愕然とした。

神崎が、拘束された。

あの神崎が。

「桐生さん」

真木が悠真を見た。

「お願いがあります」

「何ですか」

「この分析結果を、信頼できる人に届けてください」

「信頼できる人?」

「内調の中には、水野次長の息がかかっていない人もいます。その人に、このデータを渡せば——神崎先輩の無実を証明できるかもしれない」

「僕が?」

「僕は顔が割れています。動けば、すぐに捕まる。でも、あなたは——」

「一般人だから、目立たない」

「そうです」

悠真は考えた。

危険な任務だ。

下手をすれば、自分も巻き込まれる。

でも——

「わかりました」

悠真は答えた。

「神崎さんを助けるためなら——やります」

「ありがとうございます」

真木はUSBメモリを差し出した。

「これに、分析結果が入っています。届け先は——」

真木は住所をメモに書いた。

「この人を訪ねてください。名前は、藤堂誠一郎」

「藤堂——あの、最初にUSBメモリをくれた人ですか」

「ええ。彼は今、病院から退院して自宅療養中です。水野次長の影響が及ばない、数少ない人物の一人」

悠真はUSBメモリを受け取った。

また、USBメモリだ。

最初にすべてが始まったのも、USBメモリだった。

「行ってきます」

「気をつけて。——あ、合言葉を伝えておきます」

「また合言葉……」

「『菜の花畑を見ましたか』と聞いてください。藤堂さんが『蕪村の句が聞こえる』と答えたら、本物です」

「蕪村、好きですね、この組織……」

「藤堂さんの趣味なんです」

真木は苦笑した。

「では、よろしくお願いします」

悠真は頷き、店を出た。

藤堂の自宅は、都内のマンションだった。

悠真は緊張しながら、インターホンを押した。

『……はい』

低い声が応答した。

「あの、桐生悠真といいます。菜の花畑を見ましたか」

沈黙。

そして——

『蕪村の句が聞こえる。入りなさい』

オートロックが解除される音がした。

悠真はエレベーターで五階に上がり、藤堂の部屋を訪ねた。

ドアを開けたのは、見覚えのある男だった。

あの夜、コンビニでUSBメモリを渡してきた男。肩には包帯が巻かれているが、顔色は悪くなかった。

「入りなさい」

藤堂は悠真を部屋に招き入れた。

「君が桐生悠真くんか。神崎から話は聞いている」

「あの、神崎さんが——」

「知っている。拘束されたと聞いた」

藤堂は椅子に座り、悠真にも座るよう促した。

「それで、何を持ってきた」

悠真はUSBメモリを差し出した。

「これを——真木さんから預かりました。分析結果です」

「分析結果?」

「裏切り者を特定するための——」

悠真は、これまでの経緯を説明した。

バックヤードでの作業。機械学習モデルの構築。そして、水野誠司という名前。

藤堂は黙って聞いていた。

説明が終わると、藤堂はUSBメモリをパソコンに挿した。

画面にデータが表示される。

「……なるほど」

藤堂は目を細めた。

「水野か。確かに、辻褄が合う」

「じゃあ——」

「だが、これだけでは証拠にならない。状況証拠に過ぎない」

藤堂は立ち上がった。

「決定的な証拠が必要だ。水野が外部と連絡を取っている、その現場を押さえなければ」

「どうすれば——」

「私に考えがある」

藤堂は悠真を見た。

「桐生くん。もう少しだけ、力を貸してくれるか」

悠真は頷いた。

「神崎さんを助けるためなら——何でもします」

「いい返事だ」

藤堂は微笑んだ。

「では、作戦を説明しよう」


第四話「本部はバックヤード」 了

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次回、最終話・第五話「レジ打ちスパイの卒業」に続く