大人だからこそ思い出したい裸の王様という物語

大人だからこそ思い出したい裸の王様という物語Weblog

アンデルセンの”裸の王様”という童話がある。おそらく殆どの人が幼い頃に読み聞かされたり、絵本や紙芝居で見たりして記憶に残っているだろうと思います。

あらすじ

超大まかなあらすじを箇条書きにしてみる。

  1. 新しい服好きな王様がいる。
  2. 二人の詐欺師が王様の元へやってくる。
  3. 詐欺師は愚か者には見えない布地を織ることが出来ると言う。
  4. 王様はその布地で作った服を注文する。
  5. しかし、その布地は誰にも見ることが出来ない。
  6. 本当は何も無いからだ。
  7. しかし、誰も「見えない。」と言うことが出来ない。
  8. なぜなら、愚か者になってしまうから。
  9. 王様は見えない服を着てパレードする。(本当は何も着ていない。)
  10. 小さな子供が「王様は裸だよ!」と叫ぶ。
  11. 他の人々も「王様は裸だ。」と叫ぶ。
  12. 王様も自分が裸だと気付くが、そのままパレードを続ける。

と、こんな内容です。詳しく見るなら下記リンク先へどうぞ。

裸の王様関連リンク

Wikiによると、アンデルセンが書いた原版のデンマーク語のタイトルは”Kejserens nye klæder”となっており、直訳すると「皇帝の新しい服」となります。他の言語でも直訳をタイトルにしているようですが、日本語版は”裸の王様”となっています。

  • 原版デンマーク語: “Kejserens nye klæder”
  • ドイツ語版: “Des Kaisers neue Kleider”
  • 英語版: “The Emperor’s New Clothes”
  • 日本語版: “裸の王様”

あれ?なんで日本語だけ”裸の王様”なの?と疑問になってしまったので調べる。デンマーク語もドイツ語もちんぷんかんぷんなので、英語版を覗いて見た。

Hans Christian Andersen : The Emperor’s New Clothesから小さな子供が叫んだ言葉を引用させていただく。

“But he hasn’t got anything on,” a little child said.

というわけで、小さな子供は「王様は裸だよ!」と叫んだのではなく、「王様は何も着ていないよ!」と叫んだのが原版のようである。

じゃあ一体誰が「王様は裸だよ!」と意訳したんだ???明治期アンデルセン童話翻訳集成から。

《009 皇帝の新しい着物》

  • 王の新しき衣裳 ヤスオカシュンジロウ訳 [Romaji Zasshi 明治19年11月]
  • 王の新しき衣裳【翻刻】 ヤスオカシュンジロウ訳 [Romaji Zasshi 明治19年11月]
  • 不思議の新衣裳 巌本善治訳 [女学雑誌 明治21年3月10日]
  • 帝ノ新ナル衣服 渡辺松茂訳 [『ニューナショナル第五リーダー直訳』 明治21年6月]
  • 領主の新衣 坪内逍遙訳 [『国語読本』 明治33年10月]
  • 諷世奇談 高橋五郎訳 [言文一致 明治36年9月]
  • 狂言衣大名 杉谷代水訳 [早稲田文学 明治39年3月]
  • 着道楽 菅野徳助・奈倉次郎訳 [『小九郎次大九郎次/着道楽』 明治40年1月]
  • 裸の王様 木村小舟訳 [『教育お伽噺』 明治41年10月]
  • 裸体の王様 和田垣謙三・星野久成訳 [『教育お伽噺』 明治43年10月]
  • 霞の衣 上田万年訳 [『安得仙家庭物語』 明治44年4月]
  • 皇帝のお召物 近藤敏三郎訳 [『アンダアゼンお伽噺』 明治44年4月]

明治時代にこれだけ翻訳されているようです。元々は直訳に近い”王の新しき衣裳”や”帝ノ新ナル衣服”等のタイトルが並んでいますが、明治41年の木村小舟訳に”裸の王様”というタイトルが出てきます。

「王様は何も着ていない!」よりも「王様は裸だ!」の方が強烈に訴えかけられますね。木村小舟さんが最初にこの意訳をしたのかどうか私にはわかりませんが、素晴らしい訳だと思います。この意訳が素晴らしすぎて、徐々に”裸の王様”が日本では一般的になってきたのではないかと推測します。

以上、私の”裸の王様”調査報告でしたw

童話の目的

童話 – Wikipediaから。

幼児期の子どもに言葉や文字を学ばせだり、美的感覚、善悪の判断等の情操教育や想像力や価値観を育てたり、親子でコミュニケーションをとったりすること等である。

“裸の王様”においては、わがまま放題な王様とそれに文句や反対意見を言えない周囲の大人や街の人達。それに対して何のしがらみも無く、純粋な子供は思ったことを言える事が描かれています。

大人になってから権力者に何も言えないような人にならないように。偉くなっても王様のようにわがまま放題な権力者にならないように。そういう願いを子供達に伝える目的もこの童話にはあると思われます。

現実社会はどうだろう?

社会人になる前の若き頃、大人社会というのは真面目で誠実なものかと思っていたが、実際にはそうではない事も多くあり、理不尽との戦いも多くある。

努力が報われるとは限らない。実力ある者が成功するとも限らない。生まれた環境により、ある程度人生が決まってしまっている場合もあるかもしれない。

“裸の王様”のような世界はそうあるものでは無いと思っていたが、世の中を見回せばいっぱいある。

職場で

ワンマン社長がやりたい放題。ベテラン社員に意見できる人が居なくなり、これまたやりたい放題。そんな人達に文句を言えないイエスマンな幹部たちや従業員。不都合なことを隠し、都合の良いことばかりを報告する詐欺師タイプな部下等々。

下記、リンク先の記事ではちょっとした”王様タイプ”のベテランさんに対処する方法が書かれていて面白いです。自分も言われないように注意しなければいけませんな。という年齢になってきてしまいましたw

私の場合、職場で王様にならないように注意するよりも、イエスマンにならないように注意せねばならんですね。王様には多分なれないでしょうからw

家庭で

私が王様になってしまう可能性が高いのはむしろこちら。「そんなこともわからんのか!」みたいな言い方をたま〜にしてしまい、妻の怒りを少々かってしまう事がある。同じ事を言うにしても、伝え方というものがありますね。上から目線になってしまわないように要注意である。

国家で

隣の隣くらいの国である某独裁国家。まさしく”裸の王様”の世界かもしれません。しかし、この国では幼い子供でさえ自由に発言出来ないのではないかと想像してしまいます。

そして”裸の王様”という童話は存在しないのかもしれませんね。存在したとしても、恐らくラストは王様の都合が良い方向に書き換えられているのではないでしょうか?だれか知っている人がいたら教えてください。

まとめ

まとめといっても別にまとまらんのですが、最近”裸の王様”を思い出すような出来事が身近に起こり、てんやわんやな状況になっています。なので”裸の王様”をネタにしてブログを書いてみた次第です。

童話には、世の中の教訓がたくさん詰まっています。幼い頃にそれを学んでいるのだが、いつまで経ってもその教訓は生かされないようである。

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