子供が小さい頃は時々遊びに連れて来たり、走るようになってからはジョギングコースの一部になり。そして最近では近くに引っ越したこともあって、走るときは殆どこの緑地公園にきてジョグっています。ですから、深北緑地に来た回数は1000回は軽く越えていることだろうと思う。
それほど数多くこの公園に来ているにも係わらず、恥ずかしながらつい最近発見したのが、アイキャッチ画像の残念石とその案内板です。
深北緑地
深北緑地とは大阪府寝屋川市と大東市にまたがる場所にある緑地公園です。園内にはバーベキュー広場や野球場、幼児が遊べる広場、それからスケボーやBMXを楽しめる場所など多くの施設があり、天気の良い休日には多くの人で賑わっています。
ランニングをするのであれば、芝生広場の外周が700mなので、この1周を走るタイムによりフルマラソンのペースを掴みやすいです。例えば1周3分30秒で走ればマラソンを3時間30分で完走するペースになります。(正確には42km丁度を走りきるペースになります。)
私がバリバリと走っていた頃は、仕事が終わってからこの公園に立ち寄り、700mコースを3分弱で15周(10.5km)走る練習をしたこともあったものです。
深北緑地関連リンク
公式サイトの方では深北緑地が治水公園であることに触れられていないような気がするが、この深北緑地は大雨の時には洪水による被害を防止する施設となっております。
上記リンク先、「大阪府/寝屋川治水緑地」から引用。
寝屋川治水緑地は、大東市深野北と、寝屋川市河北にまたがる、50.3haの地域に建設されています。普段は運動広場や公園として利用され、大雨の時には河川からの洪水を計画的に一時貯留することによって、下流河川の水位低下と流量負担軽減を図り、洪水による被害を防止する施設です。
私がこの近くに引っ越してから数年経ちますが、今までに2回貯留されているところを見ました。
深北緑地の残念石
残念石の案内板を拡大した写真です。
生駒の西側麓で切り出した石を大阪城に運ぶ途中で落としてしまった石なのですね。落とした石は落城につながり、縁起が悪いのでそのまま放置されて今に至るというわけです。
下の写真はアイキャッチ画像と同じ案内板と残念石ですが、別の角度から撮った写真です。
残念石案内板の絵を見てわかるように、当時は深野池も今より大きく水路も現在とは違います。なので少し調べてみました。
水都大阪
現在の大阪市中心部は数千年前まで海でした。それから淀川が運ぶ土砂が河口に堆積して現在のようになっていくわけですが、その事について下記リンク先のPDFファイルに書かれています。
大阪城築城時の大阪
やはり大阪城築城当時の大阪が気になるわけです。そういえば大阪城に行った時、当時の地図を見たように思う。調べてみたら同じような地図が大坂の陣 – Wikipediaにありました。
画像出典: File:Osaka no eki winter.png – Wikimedia Commons
石船を使い、上の布陣図「島野川」から大阪城に行く予定の石だったのかもしれません。
こちらは深北緑地「臨時バーベキュー広場」近くにある石です。これは残念石ではないかもしれませんが、園内で石を見つける度に「これはどうなんだろう?」と思いながら見ることになりそうです。
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