アイキャッチ画像はハノイ大教会、場所はここら辺。
周囲には、お土産屋さんやカフェ、レストランなどもあって賑わっている場所です。で、GR IIを持ってハノイ出張に来ているので適当にパシャパシャ写した写真をいくつかアップします。
GR II の設定
お気軽にパシャパシャと写せばいいカメラだと思っているので、撮影の度に設定を変えてゴニョゴニョと、、、。などということはしていません。基本、Pモードで昼間ならISO AUTO、暗い場所や夜はISO AUTO-HI(100-3200)にして撮影しています。あと、適当にエフェクトを選んでます。
エフェクト「雅(MIYABI)」で撮影
ハノイ大教会の近くと旧市街辺りの写真です。
昼食をいただきに入ったレストラン。
もちろん頂きました。HANOI BEER!
ベトナムといえばこれ。生春巻き。
こちらはベトナムのチャーハン。パクチーが乗っかっています。
樹にもバッグをぶら下げて販売中。
ホアンキエム湖。
カフェバーの看板。
ハノイ大教会の側面。
バーダー寺の入口。
場所はここ。ハノイ大教会のすぐ近く。
ホアンキエム湖を歩くカップル。
夜のホアンキエム湖。
こちらもホアンキエム湖北側の賑わい。
この日は土曜の夜。旧市街はこんな賑わいです。
旧市街で週末にやっているナイトマーケット。
夜もバイクがたくさん。
夜のハノイ大教会。
ハノイ大教会近くのレストランで。
たまには似合わない物を飲んでみたり。
レストラン店内から外に向かって撮影しました。大雨が降り出したよ!
エフェクト「レトロ」で撮影
ホテルの近くを散歩しながら撮った写真。
こちらには、大きなショッピングモールもあり、古い町並みとは違った近代的な雰囲気です。
カフェのテラス。
すぐ近くに、ハノイらしいカオスな風景もあります。
漢字の書かれた大きな門のような建物。
古い建物などには、漢字が書かれているのを見かけます。ベトナムでも以前は漢字とチュノムを使っていましたが、現在は使われなくなっています。
引用元: 漢字復活論 – Wikipedia
17世紀にフランスのカトリック宣教師、アレクサンドル・ドゥ・ロードが考案したベトナム語のローマ字転写法が、19世紀後半のフランス植民地化以降「クオック・グー(国語)」と呼ばれるようになって普及し、1919年の科挙廃止の要因もあって漢文の使用領域が狭まったため、次第に漢字使用は減少した。1945年のベトナム民主共和国成立後、北部では公教育における漢字教育が実質的に消滅したが、南ベトナムでは1975年まで中等教育に「漢文科」が存続していた。1960年代後半のベトナム民主共和国では、漢字語を固有ベトナム語に言い換える運動が推進された。
引用元: チュノム – Wikipedia
チュノム(越:Chữ Nôm/?喃、喃字)はベトナム語を表記するために漢字を応用して作られた文字。日本語の漢字表記では「字喃」と書かれるが、その「字」はチュノム表記の「越:Chữ/?」(宁:U+5B81(宀 + 丁)+ 字、U+21A38)[1]を置き換えたものである。13世紀-20世紀初期に使われた。
おまけ
雨の中、ホアンキエム湖の周りを歩いていたら、このようなパレードに遭遇した。
9月2日の独立記念日を前にしてのことかと思います。
引用元: ベトナム独立宣言 – Wikipedia
ベトナムは19世紀にフランスによって侵略され、フランス領インドシナとして植民地とされた。大東亜戦争が起こると、日本(当時の大日本帝国)がフランスから支配権を奪取してベトナムを支配し始め、東京大空襲の翌日に当たる1945年3月11日にベトナム帝国を樹立した。その頃に、ホー・チ・ミンは独立運動の為にベトミンを創立し、8月26日にはハノイでベトナム共産党の会議を開いて、独立宣言の草案を練り始めた。そして、大日本帝国政府がポツダム宣言による降伏文書に調印した9月2日に、正式にベトナム民主共和国の独立宣言が発表された。
このパレードを見物した後、更に雨がひどくなり空車タクシーが中々来ないので、タクシーを捕まえることが出来なくなってしまったというオチがあります。雨の日に観光地に行くと、帰りのタクシーが拾えないということが勉強になったw
結局タクシーを拾うのに、2時間近くかかったかも?帰り道の一部とホテル前の道路が冠水してしまうほどの大雨でした!
もう一つおまけ
妻にお土産のために買ったバッグです。購入したのは、ハノイ大教会近くのAjisaiというお店。日本語サイトもあり、日本語の出来るスタッフもいて日本人をターゲットにしているようです。地元のお土産屋さんと比べると値段は高めですが、他には無い商品を扱っています。だがしかし、価格交渉に応じてくれないところがちょっとね、、、。
このバッグは「モン族」という少数民族の製品のようです。
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