私はどちらかというと、口数の少ない方である。なので多くを語られると、鬱陶しさを感じることもある。
何か一つのことをやり遂げようとする場合、その過程をたくさん話す人もいれば、そうでない人もいる。この両者でどちらが努力をしているかってのは、わからないのだが苦労などを伝えられると、そちらの方が頑張っているように感じられるかもしれない。
努力とは?
「努力」という言葉を大辞林 – 物書堂で調べると下記の意味になります。
心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。「目標に向かって努力する。」「努力のたまもの。」
どちらかというと、やりたくない事に対して頑張るという意味合いもあるように感じられる。だから楽しんでやっていることに対しては「努力」という言葉は似合わない。
例えばジョギングを趣味にしている人を周囲から見ると「頑張ってるね〜!」とか「凄いやん!」なんて言われ、努力しているように思われることもあるが、本人は好きで走っているので努力とは思っていない。
一方でオリンピック出場を目指すような一流ランナーの方々は努力もしなければならない(サスガに楽しいという気持ちだけでは、その領域には行けないと思う。)だろうし、苦労話を聞かなくても努力しているだろうと感じられるだろう。
頑張っている理由?
期限を既に過ぎちゃっているのに更に期限を延ばして欲しいと先方に言われたことがある。出来なかった理由の説明とベストを尽くすためにもっと期限が欲しいというような理由だった。
はっきり言ってそんなことはどうでもよい。出来なかったのであれば、その事を謝るだけでよかろう。その他のことを聞いても仕方がない。イロイロと話されてもこっちにしたら「今頃何言ってんの?言い訳を聞く気はないで。」ってな感じ。
恐らく先方さんは努力しているつもりなんだろうけど、こちらには伝わってこない。頑張っている理由を聞いても、結果として出来なかったのだから「サボってたんか?」と言われても仕方がないくらいなんだよね。
まとめ
「努力」とは本人が周囲に伝えなくても、勝手に周囲に伝わるもの。そして場合によっては、周囲が努力していると感じても当人はそう思っていない場合もある。
自分で努力している事を他人に伝えようとしても、それは伝わりにくだろうし、敢えて自分から他人に伝えるものではないだろう。私は某テレビ局の24時間マラソンを否定するわけではないが、あまり好きではない。
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