ここ数年来、ノーベル文学賞の有力候補と言われ続けている村上春樹さん、その書籍を読んだ。恥ずかしながら、私は村上春樹さんの著書を読むのははじめてだ。昨年は村上さんのところを公開され、ネット上でも話題になっていました。
あまり本を読まない期間が長々とあったが、電子書籍のおかげで最近は読書の時間が増えてきた。本を読むようになると、書店はもとよりAmazonなどでも村上春樹さんの書籍をちょこちょこと目にするようになる。
で、村上春樹さんの書籍をちょっと読んでみようかと最初に手にした(と言っても電子書籍ですが。)のが走ることについて語るときに僕の語ることです。
内容
Amazonの紹介文から引用させていただく。
1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう?日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか?村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。
2005年から2006年にかけ、村上春樹さんが書かれたマラソン大会に向けての練習や、大会の完走記的なもの。それから走りはじめたきっかけなどについても書かれています。
上の引用文にも書かれていますが、この書籍は小説でもエッセイでもなく「メモワール」とされています。「メモワール」を大辞林 – 物書堂で調べると。
回想録。回顧録。手記。
となっています。
書評
「メモワール」なので、小説ではありません。「村上春樹さんの小説が好きだから読んでみよう。」と思って読んでも期待外れになるかもしれません。村上春樹さんが好きではなくても、市民ランナーやトライアスリートなら共感できる部分も沢山あるでしょう。
村上春樹さんがブログを書いたら、このような文章を書かれるのではないだろうか。素晴らしい表現力を持った市民ランナーが書いたブログを読み進めているような感覚になります。
走りながら考える事
私が走るときも、さほど大した事を考えているわけではないが、村上春樹さんもそのようだ。その走っている時の様子をこのように表現されている。
僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。
「空白の中を走っている。」って、格好良すぎるやん。走り終わってから何を考えていたかは、ろくに覚えていないそうです。私もです。が、たまには仕事のことを考えていて、閃くこともあります。ごく希にですけど。。。
ランナーになる人
人は誰かに勧められてランナーにはならない。人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。
走りはじめるとき、何らかのきっかけがある。そのスイッチを押すことが出来るのは本人だけなのだ。最初は義務でもないのにわざわざ走らなければならないのだから、他人が誘っても簡単にスイッチを押すことが出来ないわけです。
苦行としての走ること
学校で体育の時間に、生徒全員に長距離を走らせている光景を目にするたびに、僕はいつも「気の毒になあ」と同情してしまう。走ろうという意欲のない人間に、あるいは体質的に向いていない人間に、頭ごなしに長距離を走らせるのは意味のない拷問だ。
これだよこれ。多くの人が「走ること=苦しいくて嫌い。」になってしまう諸悪の根源。小さな子供が遊んでるところを見ていると、自然と走り出している。それがいつの頃からか、走ることは苦しくて辛い事になってしまう。多分小学校のマラソン大会くらいから。
体育の時間や部活なんかでも全力で走らせることが多すぎるのでは?体力をつけるだけなら、ゆっくり走っても効果がある。陸上部以外は、長距離を必死のパッチで走る必要は殆ど無いような気がするんだけど。
ランニングが趣味になると、もっと速くなりたくて苦しい練習を自らするようになる。なんのために苦しい練習をするのか?それを自ら理解できるのであればよいが、それが無いのにただ単に長距離を走るだけでは確かに拷問です。
100km
あなたは100キロを一日のうちに走り通したことがあるだろうか?
村上春樹さんが走りはじめたきっかけは、小説家になり身体を動かさなくなったので、運動不足を解消するためだったそうです。私なんかもそうですが、最初は100kmどころかフルマラソンだって走るつもりはなかった。
何かのきっかけで走りはじめたら、思っていたよりも走りすぎてしまうかもしれません。村上春樹さんも著書の中で「普通の健康な市民はまずそんな無謀なこと(100kmを走ること。)はやらない。」と書かれていますが、ご本人は走ったことが一度だけあるそうだ。
超一流の小説家が走ることと自身の職業について語ったメモワールです。続きは書籍でどうぞ。
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