知覧特攻平和会館と特攻基地知覧

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知覧特攻平和会館と特攻基地知覧

アイキャッチ画像は鹿児島県薩摩半島の南端にそびえる薩摩富士とも呼ばれる開聞岳。知覧を飛び立ち、250kgの爆弾を装着した特攻機が最後に眺めながら飛び越えていった山です。

知覧特攻平和会館

私、鹿児島出張に行く機会が度々あります。4年ほど前、鹿児島出張に行った際、休日を利用して知覧特攻平和会館に行った。

場所

知覧特攻平和会館の場所はこちら。特攻平和会館の他には武家屋敷と知覧茶が有名です。

昭和60年から2年かけて建設された知覧特攻平和会館についてサイトから引用させていただく。

引用元: 知覧特攻平和会館とは

この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。

このように戦闘機をはじめ、様々な資料を展示されている会館です。この中で一番印象に残っているのは、最後に遺された遺書や手紙です。知覧特攻平和会館のサイトでも一部を公開されています。

そのうちの一つにリンクしておきます。

この会館で特攻に関するビデオを観ましたが、何とも言えない気持ちになります。私の子供が二人とも10代だったので、ちょうど同じくらいの年頃の子供達が体当たり攻撃に出撃していく。

現在、同じような状況になることは有り得ないだろうが、もし自分の子供達がそのような状況に置かれるとすれば?

そんなことは絶対に許せないし、行かせることは出来ない。いつも子供に対して一生懸命な妻はもっとそういう気持ちが大きいだろうし、何が何でも行かせないだろう。当時の母親も同じ気持ちだったろうが、引き止めることが出来ない時代だった。平和会館の母親の像を見るとその悲哀を感じます。

特攻基地知覧

知覧についてブログを書こうと思ったので本を読んだ。それが特攻基地 知覧という本です。

この書籍は著者の高木俊朗さんが報道班員として終戦前の知覧に配属され、特攻隊員や「なでしこ隊」と呼ばれる女子高生の奉仕隊、特攻の母と呼ばれる鳥浜トメさんなどとの交流や取材を通して実際に見聞きされた終戦間際の特攻隊のことについて書かれています。

それから終戦後に生き残った特攻隊の方や、知覧の近くで旅館を営んでいた女性など戦後10年から20年近く経ってから取材したその後の苦悩などについても書かれています。

引用元: 高木俊朗 – Wikipedia

戦争末期、1945年に鹿児島県知覧町(現南九州市)の航空基地に転属、特攻隊員たちとの交流を通じて、かれらに人間的苦悩にふれて、その真実を書き留めようと戦記作家として執筆活動をはじめる。

特攻隊を指揮した責任者達は戦後になっても「特攻隊は志願兵である。」と言っている場合が多いようだが、著者の高木さんは実際はそうではなく、指名されたか志願を強制されたようなものだと書かれている。

戦争末期になると特攻隊員達にも日本の戦況が不利な状況になってきており、特攻による効果が少ない事にも気づいていた。そんな中でも特攻隊員は、「神と崇められ、にっこりと笑ってお国のために出撃していった。」というふうに国民には伝えられていたが、実際は違うということも訴えておられます。

特攻隊について誇張も美化もせず、事実を伝えようとして書かれたこの書籍、知覧特攻平和会館が出来るずっと前の昭和40年に出版され、その後若干内容を修正して昭和48年に角川文庫版として出版されたものであり、特攻隊の実際を知るには良書です。

ここには詳しく書けないが、この書籍には、終戦後に米軍が知覧にやってきてある女性の人生を狂わせた出来事についての記述もあります。それから「慰安婦」という言葉も出てきて戦争について考えさせられます。

大人の責任

特攻で大きな効果を望めないことは最初からある程度わかっていたようだ。そんな状況でも若者に出撃させ、「最後の一機で自分も突入する。」と言いながら最後は逃亡した司令官もいたようだ。

この本を読んで、若者に対してこのような仕打ちを強いたのは多くの大人の責任だと感じた。最初からわかっていた無謀な攻撃、一体何の為に?特攻隊の父親まで特攻に出撃する息子を誇りに思っていた。しかしその気持ちは真実ではないと終戦後にわかります。

多くの大人達が狂ってしまっていたせいで、多くの若者達が命を落としてしまいました。自由になった現在の日本でこのような事態になるとは考えられませんが、若者が不幸になるのは大人の責任だと自覚しなければなりません。

現代社会でもブラック企業と言われる会社が、若者から搾取したり使い捨てのようにすることがある。はたまた破綻しそうな年金、若者が年老いたら貰えるかどうかもわからないような状況なのに、若者の年金負担は増える一方。しかも日本の個人資産6割を60歳以上が持っているという、実はお金持ちな高齢者達をお金の無い若者が支えているという変な状況であったりする。

平成21年なのでちょっと古いですが、お年寄りが金持ちだというデータを探してきた。

上記リンク先から引用すると。

家計資産は70歳以上が最も多く,30歳未満の5.9倍

とのこと。この事実を20代の若者が知ると年金を払う気が失せてしまうのではないかと思われる。話が少々脱線した感があるが、戦後70年の夏、戦争について考えてみては如何でしょうか。ついでに「平和安全法制整備法案」についてもリンクしておく。

私はまだ内容を把握し切れていないので、賛成とも反対とも言えない。

引用元: http://www.jiji.com/jc/v?p=houan201505a-01

内閣総理大臣が自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる事態として、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態を追加すること。

極端すぎて想定外の例えだろうと思うが、「アメリカが攻撃されて負けそうになった時、協力しなくて良いの?」と問われたらどう答えますか?

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